「いそげ!」 朝礼が終わると同時に、何人かの男子は教室のドアを開けて走っていった。 「ああ」 体操服の入った袋を手に取る。一限目は体育だ。球技大会に向けてみなが張り切っている。 何人かと連れ立って教室の扉に近づく。そのとき教卓にのるノートの山と、女子生徒が目に映った。 今日、提出する国語の宿題は3つあった。面倒くさいとみんな嘆いていたのを覚えている。 教卓の女生徒以外、係りの人は見当たらなかった。係りは男女一人ずつのはずだが、男子の方はもう行ってしまったのかもしれない。 「先に行ってろ」 「どうした?」 何も言わず袋を肩にかけ、教卓に駆け寄る。 「よっと」 「あっ」 ノートの山を持ち上げ、女生徒に話しかけた。 「俺が持ってくよ」 「そんな、悪いよ」 「いいよ。こんなに持てないだろ?」 そう言ってノートを抱えなおす。中学生が持って運ぶにはちょっと厳しい量だ。 「俺なら一人で十分だから。次は体育だ。早くいったほうがいい」 「うん……それじゃあお願いしてもいい?」 「ああ、任せろ」 そう言ってきびすをかえす。 「黒木くん!」 「なんだ?」 足を止め、振り返る。 「ありがとう」 「気にすんな」 短く答えて前を向いた。 「かっこいい」 教室の扉の近くで級友がはやし立てる。 「何してる。先に行けって言ったろ」 「いや、我がクラスの英雄をたたえようと思ってな」 そう言って仰々しく手を掲げ拍手をする。周りの者もそれをまねた。 「英雄って何だよ」 「いつも誰かの手伝いをしている誰かさんのことだよ。普通そんなことしないぞ」 「そうそう。頼まれないとやらないよな」 そんなことはない。頼まれずとも自らやろうとする人はいる。 「そう言うなら。今からでも頼んでやろうか?」 「いやいやいやいや」 級友達は首を振って距離をとる。息がぴったりだ。 元からその気は無かったのだが、何か釈然としない。 「冗談だよ。ほら、さっさと行け。俺も急ぐから」 道を開けてもらい教室を出る。 「でも、ほんと、よくやるよな」 しみじみと、誰ともなしにつぶやいた。 「まあ、義務だからな」 「え?」 不思議そうにする彼らを置き去りに廊下を走り出す。廊下は生徒であふれていた。その隙間を縫うようにしてぶつかることなく走り抜けていく。 次は体育だ。急がなければ。 昔の夢を見るのは年寄りだけだと思っていたがどうやらそうではないらしい。ビュウは柔軟をしながらそんなことを考えていた。 場所は屋敷の玄関。ビュウは目覚めが悪く気分転換に体を動かそうと思い場所を探していた。ここなら広く、物も少ない。 柔軟を終えて、拳を握りる。一挙手一投足に注意を払い、意識して体を動かし始めた。 裸足の足に絨毯の毛が押しつぶされる感触ともに、体のあちこちから小さな痛みが走る。昨日の戦いのせいだ。 ビュウは昨日の自分を思い出す。拳を握るのは三年ぶりだった。 それが原因だろう、適切な加減というものがわからなくなっていた。 手加減したはずなのに強すぎたり、気を回しすぎて弱すぎたりしていた。 三年前まではこういったことを常に意識していた。 人の形をしていても、この身は人から大きく外れている。黒木家はそういう一族だった。 ただじゃれあうだけでも、相手に怪我をさせてしまう。 だからこそ、鍛錬が必要なのだと父は言った。無思慮に力を振るわないように、狙ってはならない場所を知るために、相手を見て加減ができるように。 中学に上がり、独学で武術を習うようになってからもそれは常に意識していた。 だからこそ、身の危険が迫っていても手加減することは忘れていなかったのだろう。自分の体のことであるが、ビュウは少しあきれていた。 あきれていることはもうひとつある。久々の戦闘とはいえ全力を出してしまったことだ。 自分の中にあるなにか。レイたちは魔力といっていたが、今までにあの力を使ったのは昨日を除けば二回しかない。 これを体中にめぐらせると、力があふれてくる。しかし、その分負担も大きい。ブランクがあるならなおさらだ。 こんな力を使ってしまうほど自分は混乱していたのだろう。異なる世界、異なる法則。見せ付けられれば混乱するのも無理はなかった。 「ビュウ!」 大きな声が玄関に響く。レイが二階の手すりからこちらに乗り出していた。 髪も衣服も乱れていて、とても人前に出るような格好ではなかった。 「顔くらい洗ったらどうだ」 みっともないと思いながらビュウは言った。 「あなたを探しててそれどころじゃなかったの」 「探す? どうして?」 「どうしてって、起きてすぐ部屋を見に行ったらいなかったから出て行ったのかと」 寝ぼけて昨日のことを思い出せないのだろうか。ビュウはそんなことを思った。 「昨日世話になると言っただろう」 「そうだけど。でも、あの様子だと、出てってもおかしくないじゃない」 その言葉に、ビュウは少し驚いた顔をする。 「そういうことに気が回るのか」 「どういう意味?」 「見ず知らずの人間をろくに確かめもせず家に泊める世間知らずが朝起きて昨日のことを振り返ってもしかしたらいなくなってるんじゃないかと心配するような人。だとは思わなかった」 ビュウは一息で言い切った。レイは口を尖らせビュウをにらみつける。 「確かに世間知らずだけど、理由がなかったら泊めはしなかったわよ」 「だろうな。それで、その理由は?」 「後で話すわ。まず朝食にしましょう」 それにはビュウも賛成だった。かってにあさるわけにもいかないので、起きてから何も食べていない。 「どの部屋で食べるんだ?」 「厨房」 レイは簡潔に場所だけを伝えた。厨房は昨日案内されたからビュウにも場所はわかった。 「分かった。着替えたいんだがあの部屋の服を使ってもいいか?」 「ええ、かまわないわ」 「着替えていくからお前も身支度を整えとけよ」 「わかってるわよ」 レイはそういって部屋に戻ろうとしたが、途中で止まる。 「それにしても」 「なんだ」 ビュウも階段の途中で止まった。 「あなた昨日と感じが違わない?」 その言葉にビュウの心が一瞬ざわめく。 「……そうかもな」 確かに昨日よりも口数が多いし、軽い冗談も言っている。まるで昔の自分のようだ。きっと、あの夢のせいだろう。 「昨日はいろんなことがあったからな。混乱してたんだよ」 適当に言い訳を口にする。 「そっか。それもそうよね」 納得したのか、それ以上何も言わずレイは部屋へ戻った。 ビュウも服の置いてある部屋へ行く。部屋においてある服はどれもビュウの体には合わなかった。そのなかで比較的ましなのをみつくろう。 服を探すのに手間取ったものの着替えを終え、今まで来ていたものを適当にまとめて部屋を出た。 それにしても、レイはビュウに話しかけることに抵抗は無かったのだろうか。 形だけとはいえ、ビュウは昨晩レイを襲ったのだ。更に言えばその後泣かせてもいる。普通なら距離感をどうしていいのかためらうはずだ。 もしかしたら、一眠りすれば引きずらなくなる種類の人間だろうか。うらやましいことだ。 そんなことを考えながらビュウは厨房へ移動した。 厨房へつき、扉を開けるとすでにレイがいた。扉のすぐ傍のテーブルで食事をしている。 ビュウは身支度の早さに少々驚くが、何も言わず皿の置いてある席に着く。 「この後はサンリ院へ行くからついてきて。頼みごとはそこで話すから。ああ、サンリ院はね昨日あなたがいたところよ」 朝食を食べながらレイはこの後の予定について話した。ビュウはじっとそれを聞いている。 「どうしたの早く食べたら」 手に持ったものを食べながらビュウを促す。 「あ、あぁ」 ビュウは目の前の皿をみた。 席に着くときは気がつかなかったが、目の前には調理という家庭を経ずして作られた料理がある。 簡単に言えば生の野菜が皿に乗っていた。 レイが食べているのもこれと同じものだ。手づかみでぽりぽりと食べている。 ビュウは考える。 こちらの世界には料理という概念がないのだろうか。いや、昨日食べたものは料理と呼べるものだった。 もしかしたら朝食は生の野菜を食べる風習なのかもしれない。 健康的とか野性的という言葉が頭を駆け巡る。 「何?」 「……朝食は大切だよな」 結局、出てきた言葉はそれだけだった。 レイの家を出発してから、特に話題はなかった。ビュウも話は振らず、周りをの風景を眺めていた。 昨日は気づかなかったが、町はなだらかな斜面の上に作られているようだ。レイの家は高いところにあるため、町を一望できる。 かなり大きな町らしく、遠くまで町並みが続いていた。町の終わりは緑の木々に阻まれて見えない。 レイとビュウは坂を下りきった後、平坦な道を歩くが、すぐになだらかな坂を上る。 坂の上、正面に見える門がおそらく昨日出てきたところだろう。その横には少しはなれて、城が見える。 城壁に囲まれ中は見えないが、大きな石の建物や、塔の頭が見えていた。 ビュウの視界にある多くの建物が映るが、その中で一番目を引くのは山だった。 城などの建物の背後、遠くに見える山々はどれも高く、まるで壁のように聳え立っている。 今日は雲一つ無く、山の頂上から真っ白に覆われた山肌は澄んだ青空の上にはっきりとその姿を浮かべていた。 「サンリ院は魔法の管理、研究を行っているところよ」 突然レイが話しかけてきた。 「魔法か……火が突然飛んできたが、あれか?」 「そうよ。魔法は法則なの」 「法則?」 「簡単に言うと、魔力を使って呪文を唱えると何かが起こる。それを魔法って言っているの」 「魔力って何なんだ?」 ビュウの中にある何か。レイたちは魔力と似たものだといっていたが、これが何なのか今ままでわからなかった。 「人が持つエネルギーのことらしいけど、詳しくは知らないわ。誰もが持っているけれど体の外に出せるのは百人に一人くらいかしら」 「エネルギーか」 ビュウは確認するようにつぶやく。レイが詳しく知らないとは思わなかった。昨日のうちにキョウカに尋ねるべきだったのかもしれない。 「魔法は呪文によって魔力を現象に変換しているの」 ビュウは昨日のことを思い出した。確か、誰もが魔法を使う前に何か言っていた。 「一言二言何か言っていたが、呪文はそんなに短くていいのか?」 「呪文は短縮できるの。けど魔法名だけは言わなければならないから、魔法発動するには最低一言は言葉を発しなければならないわ」 「そうなのか」 ビュウが長い呪文を聞くことが無かったのは、どれも短縮していたからのようだ。 確かに標的が呪文が聞こえるほど近くにいるなら、長々と唱えているわけにはいかないだろう。 「魔法は極論、呪文を知っているば誰でも使うことができる。強力なものは他国に知られるとまずい。だから、魔法は国が管理しているの。その魔法を学ぶ場所を魔法院と呼ぶわ」 門までかなり近づいてきた。ビュウには門番の表情も見て取れる。 「魔法院はいくつもある。その中でサンリ院は最高峰よ。扱える魔法の種類も多い。サンリ院以上となると、軍や大貴族のところくらいかしら」 そこでレイは立ち止まった。ビュウも理由がわからないまま立ち止まった。 「そういう場所だから警備もとても厳しいの」 レイが振りかえる。 「それで、言いにくいんだけど」 ビュウには、前置きが無くてもその表情から言いにくいということが伝わってきた。 「もしかしたらだけど、あなた、彼らに拘束されるかもしれないの」 彼らとはあの門番のことだろう。 「どうして?」 「昨日、院から出るときにちょっと強引だったから、そのことで何かあるかもしれない」 何かとは何なのだろう。話を聞かれるくらいならいいが、襲ってきたりはしないだろうか。 「だからね、腕をつかまれてりしても暴れないでね。話しかけられても言葉がわからないって顔してればいいから。どうしても危ないと思ったら、走って逃げて。殴ったりしたらだめよ」 ビュウは今すぐ引き返したくなった。けれど、引き返したところで行く当ても無い。 「きっと大丈夫よ。結局昨日は通れたんだから、うん大丈夫。それに今は外側の門は規制が緩くなってるから奥まで行かなければ大丈夫よ」 レイが大丈夫と言うたびに不安が増大していく。 レイは前を向いて歩き始めた。ビュウは少しためらいながらもその後に続いた。 ビュウとレイは身構えて門番のところへ行くが、拍子抜けするほど簡単にことは終わった。 昨日のことを言われることもなく、ビュウについて形式的な質問があっただけだ。その全てをレイが行ったため、ビュウはそれを後ろから眺めていた。 最後に紙を渡され、門の通過を許される。 二人は門を抜けた後も警戒を続けるが、特に何も起こらなかった。 「ここよ」 レイは建物から離れた森の前までビュウを案内した。 「七日後、この森で演習があるの」 「演習?」 「そう。学徒、つまりサンリ院へ通っている人たちが数人のチームを組んで魔法を使った簡単な戦闘を行うの」 そんなこともするのかとビュウは驚いた。 魔法の知識を狙って誰かが襲ってくることは十分考えられる。その場合、自身である程度応戦できなければならないのだろう。 「内容は森の中の移動。院の教師の妨害を受けつつ目的地まで移動するの」 レイはそこで言葉を区切り、ビュウの方を向く。 「あなたには私とチームを組んで演習に出てもらいたいの」 「部外者の俺が出れるのか?」 間をおかず、ビュウが質問した。 「魔法が使えない人なら参加できるわ。あなたの場合、魔石を当てられたときに、魔力を流さなければいいだけよ」 よどみなくレイが答える。昨日から聞かれることをある程度予想していたようだ。 参加が可能でなければ頼むはずが無い。それは聞く前からわかっていたことで、ビュウにとってさほど重要なことではなかった。最も気になるのは別のことだ。 「わざわざあって間もない人間に何故そんな話を?」 ビュウが気になったのはそのことだ。同じ学徒同士で組めばすむことなのに、どうしてそれをしないのか。 「チームは学徒同士が自由に組めるけど、私と組んでくれる人は誰もいないわ」 「嫌われてるのか」 「ええ、そうよ」 ビュウのストレートな言葉。それをレイは迷いなく打ち返した。 「胸張って言うことじゃないだろう」 「だって、事実だもの」 レイの話からすると一人で参加することはできないようだ。それなのに、困った風には見えない。 開き直っているレイに、ビュウは呆れた。 「演習に出ないという選択肢は無いわ。演習に受からなければ院をやめろ。家からそう言われているから。私は院をやめるつもりは無い。そして、院以外で演習の参加条件が合うのはあなただけ」 「それで、俺が必要なのか」 ビュウはレイにとって自分がどういう存在なのか理解した。 レイの目の前に突然現れたビュウは、彼女にとって最後の希望なのだ。だから、どれだけ疑わしくても手を伸ばさずにはいられなかった。 「私と一緒に走ってくれるだけでいい。妨害は全部私がどうにかするから」 「七日後だったな」 ビュウは一言確認の言葉を口にする。 「ええ。演習の結果がどうなっても面倒は見るわ。そのことで何か言われたって私が――」 「受けよう」 予想外だったのだろう。レイの口が止まり、呆然とビュウを見つめている。 「演習に出るといったんだ」 もう一度ビュウは言った。それでようやくビュウの言ったことが理解できたのか小さく驚きの声をあげる。 「本当に? 演習といっても魔法を打ち合うから危険よ。大怪我を負う人もいるわ。部外者のあなたにはなおさら……」 「問題ない」 「何で、そんな間単に」 レイはもっと説得に時間がいると思っていたのだろう。信じられないといった表情だ。 「ある程度協力するって言ったからな」 ビュウは表情を変えずたんたんと話した。 「でも危険なのよ」 「逃げるだけでいいんだろ」 レイからは否定の言葉は出てこない。それを確認してビュウは言った。 「だったら大丈夫だ。お前を担いで走っても逃げ切れる」 ビュウはまるであたりまえのことのように言った。見栄や意地を張っているようには見えない。その言葉には自分に対する絶対的な自信が感じられた。 「……わかった。担がれる気はないけど、もしものときは頼んだわよ」 レイは納得できないといった表情を浮かべてはいるが、それ以上追求することはなかった。 |