突然現れた少女に、誰もが注目していた。
少女は整った顔立ちをしており、その碧眼は男をにらみつけている。
少女は歩きながらこちらに近づいてきた。少女は近づいてくる間、男から目を離さない。
風に揺れる長い銀髪が夕日に照らされ黄金色に燃えている。
「レイ=べルフージュ……」
ロウターンは彼女を見てそうつぶやいた。
「何をしてるの、ロウターン=メルトクア」
少女の声が中庭に響く。
「えっ……それは……」
ロウターンはどう答えるか迷っている。その間、男は少女から目を離すことができなかった。後ろの木についた火から背中に熱が伝わり、じわりと汗がでる。
あれほどの火力をもったものが自分に当たったらどうなるのか想像は難しくない。少女の行動に対応できるよう男は意識を集中する。
少女は男や少年たちから大きく離れたところで止った。
「その男は誰? 侵入者?」
「ち、違うよ、こいつは俺が召喚して……」
ロウターンはそこまで言って口をつぐんだ。
「召喚? ……まさか、召喚術をつかったの!?」
少女が驚きの声を上げる。
「召喚術が成功して、舞い上がってそのまま魔力を渡したらこの様なわけ?」
「違う、俺は魔力を渡してない! それなのに普通に動くんだ!」
ロウターンは言い返した。そのことを聞いた少女は初めてロウターンのほうを見た。
「魔力を渡していない? それじゃあもしかして――」
彼女はそのあとの言葉を続けることができなかった。男が少女に向かって走ってきたからだ。
男は少女の意識がそれた隙に飛び出した。彼はとにかく接近戦に持ち込むつもりだった。彼にはそれしか相手を倒す手段が無いためだ。少女がどんな攻撃でくるのかわからないため、少女が何かする前に決着をつけたかった。
だが、そううまくはいかない。少女の前に無数の炎がともる。その炎が一斉に男に放たれた。十を超える火弾。男は迷わず前へ進む。その目で道を見極め縫うように弾丸の雨を抜けた。だが、体がついてこなかったのか肩に炎がかすり、多少動きが鈍る。
「房を束ね編み合わせよ!」
その間に少女が叫ぶ。男はその声を聞き姿勢を下げた。少女が何かを飛ばすつもりだろうと彼は思ったため、その瞬間に前に転がりよけるつもりだった。それと同時に足払いをかけ、転倒させれば優位に立てる。彼はそう考えた。
「ホカムグスの壁!」
男が少女まであと五メートルと迫ったとき、少女の言葉で彼は攻撃を察知した。しかし、どこにも炎は現れていない。
少女が何かを行ったことはたしかだろう。それなのにその結果が見当たらない。
彼が困惑しているとき、視界の隅で光が瞬くのを見た。それは少女のすぐ前、その足元だった。
まさか。男はこれから起こることを察知し驚愕した。
少女の足元から二メートルほどの火柱が吹き上がる。それはひとつではなく、少女の前に壁のように半円を描きいくつも吹き上がった。
男はすぐに回避行動をとる。右足を前に出しブレークをかけ、体を横向きにし、そのまま左足を後ろに下げて無理やり右足を軸にして体を回転させた。そのまま進路を右にそらし火柱をよける。
ぎりぎりで回避したが火が上着の背に燃え移った。すぐに上着を脱ぐがそのとき少女から火球が飛ばされる。服を投げ捨てながら男は火球をかわし少女から距離をとった。
少女も火球を打ちながら下がったらしく、距離が大きく広がっている。
少女は男が火柱をよけたことに驚いていているようだった。あの速度で回避できるとは思っていなかったのだろう。
男の表情は変わらなかったが、心臓は激しく鼓動していた。今のは危なかった。先ほどの回避は男にとってぎりぎりのものだった。先手をとるため動いた結果、衣服が炎に触れてしまったのだ。もう一歩踏み出していたらよけられなかった。
死がすぐそばまで迫っている。男は覚悟を決めた。全力でいく。
男は体の内側に意識を向ける。自分の中には得体の知れない何かがあった。常に厳重に封じていたその戒めを男は解いた。 
心臓が強く鼓動し、そこから溢れ出た何かを体中にめぐらせる。心臓から手や足へ血と共に体中をめぐる。
「写身として力を示せ!」
少女も動き始めた。声をはり高らかに叫ぶ。確かめるように、命じるかのように。
「ホーリィの槍!」
少女の頭上に巨大な炎が生まれる。その炎が流線型に引き伸ばされ男のほうへと飛んできた。男の不意をついたときの炎だ。狙いは男の足元。
だが、男の動きはゆっくりとしたものだった。まるで重力に任せるように体を傾ける。そして、足を一歩前へ進ませる。
その直後、炎の塊が着弾した。あたりに光と炎を撒き散らし、周辺を焼き尽くす。
しかし、そこに男はいない。男はその場から忽然と消えていた。
違う。少女は即座に否定する。少女はかすかに見た。赤い光に染まった自分の視界の隅を黒い影が通り抜けるのを。
男は消えたのではなく移動したのだ。消えたと錯覚するほどの速さで。
少女が考えた通り、男は少女の後ろにいた。勢いを殺しきれず、少女との距離は離れている。
しかし、少女が振り向こうとしたときにはすでに少女の背後へ移動していた。その手をつかみ、ひねり上げる。
「いっ、この――」
少女は暴れるがまったく効果が無い。むしろ動くことで痛みが走り顔をゆがめる。男はそれを見ながら自分の中のものを落ち着かせていた。
息が乱れ、体がかすかに悲鳴を上げているのが感じられる。だがこのまま悠長に締め上げているわけにはいかなかった。もしかしたら自爆覚悟で攻撃してくるかもしれないのだ。
男は少し考えてから左手を少女の首に当てる。そして、そのまま左手で首の動脈を圧迫した。
「…か……ふ……」
少女は遠のく意識を必死につなぎとめようとするが、徐々に頭が働かなくなってくる。必死に体を動かすがそれも徐々に弱弱しいものに変わっていく。少女の目から苦しみにより涙がこぼれた。
「ここはどこだ」
苦しむ少女に尋ねる。意識を失わないように力を加減する。
「……と……しょ……ん……され……たの?」
「何?」
男が左手の力を緩めて少女の言葉を聞こうとした。
「何をしている」
そのとき、女性の声が中庭に響いた。声の方には一人の女性が立っている。
男はその声で女性の存在に気づき思わず舌打ちをする。それは少女に集中しすぎて気づかなかった自分に対してだ。緩慢な時間を長く経験したせいだろう。ひどい失態だ。
少女の首に当てていた手を離す。少女は苦しみから解放された。激しく咳き込むが意識はあった。だがその右手は締め上げられたままだった。
「そこのお前どこのものだ。それに何故彼らが倒れている。メルトクア、ベルフージュ、何があった」
男は考えをめぐらす。確認するまでも無くこの女性は少女たちの側だろう。ならば自分はどう動くのか。
少女をこのまま人質とするか、それとも気絶させて女性をたたくか。
「これは……その……なんでもないんです」
「なんでもないわけがないだろう」
ロウターンの答えを女性は一蹴する。
その間も女性は男から目を外さない。男も女性の動きを注視していた。その緊張のなかに少女の声が響く。
「いえ、先生。はぁはぁ……本当に何でも無いんです」
息を切らしながら少女は女性に言う。明らかに囚われの身である少女の言葉に女性は驚く。それは男もだ。
「訓練を……していただけです」
「訓練? ここでか?」
女性が尋ね返す。
「ええ、私の護衛と訓練をしていたところに彼らがきて、ちょっと小競合いになったんです。ねぇ、メルトクア?」
少女は、ロウターンに話を振る。女性はロウターンとその傍らにいる少年に尋ねるが、口ごもってしまい明確な答えが返ってはこない。
「ねぇ、離して」
女性の視線が少年たちに向けられているのを確認し、少女が男に話しかける。その声は小さく男以外には届いていない。
「もうあなたには何もしない。信じられないかもしれないけど。それに私ならここからあなたを連れ出せるわ」
少女は痛みに顔をしかめながらも顔を男の方にむけた。黒い瞳と青い瞳が向き合う。
「あなたいつの間にかここにいたんでしょう? 私はあなたと同じところから来た人を知ってる。会って話をすることもできる」
信じられるわけがない。男がそう思ったとき気がついた。敵意がなくなっている。少年たちは困惑と恐怖を、女性は呆れと怒りを、そして、目の前の少女からは真剣さが感じられる。誰もの男に敵意を向ける人間はいなかった。
「彼女ならあなたと同じ立場で疑問に答えてくれると思う。だから」
沈黙が二人の間に横たわる。男の意識は急速にさめていった。そして、男には混乱だけが残った。
男は少女の手を離した。少女はつかまれていた手を確かめるように動かす。
「ありがと」
少女は小さく礼を言い、少年たちと女性のもとへ近づいていく。
彼女は女性と少年の間に入り、話を始める。少年たちは少女の言葉に頷くだけで自ら言葉を発することは無かった。
以後気をつけるように。そう女性は言って建物へ戻っていく。少女等の言葉を全て信じたわけではないがこれ以上どうすることもできないようだ。
それを見送って少女と少年たちがいくつか言葉を交わし、それぞれの別の方向に歩き始める。少年たちは倒れた仲間の所へ、少女は男の所に。
「話は終わったわ」
男の前に立ち少女は言った。少年たちは倒れた者の介抱をしていたが、男と少女のことが気になり、ちらちらと何度もこちらの様子を伺っていた。
「あなたのことは私の護衛って言っておいたわ。まあ信じていないでしょうけどね」
「そうか」
男は短く返事を返した。一言だけだったが男から返事があったことに満足して少女は歩きはじめた。それは建物のほうではなく、彼女がやってきた夕日のほうだった。
「行くわよ、ついてきて」
「ついてく? お前にか?」
「そうよ。言ったでしょう、あなたと同じ世界から来た人を知ってるって」
少女は振り向いて男を見る。その言葉はここが男のいた世界ではないと告げていた。
「あわせてあげる」
それだけ言って再び歩き始めた。男はその後姿を眺め、足元を気にしながら後について歩いた。


少女の後について歩くとここがいくつかの塀に囲まれた小高い丘の上であることがわかった。周りを見れば城壁に囲まれた城。そして、眼下には町並みが広がっている。
丘を下ると門へたどり着いた。そこには門番が目に見えるところだけで四人いる。門のところに小屋が見えるが、そこにも何人かいるようだった。
土による汚れと炎による焼け跡によりぼろぼろになった服。さらに靴も履かず裸足で歩く男に当然のように門番が不審がる。男を調べようとするがその前に少女が声をかける。
少女と門番でいくつかのやりとりを行うと門を通された。男は不思議に思うが何も少女に尋ねようとはしない。
そうして同じようなやり取りをして三つの門を抜けた。
「はぁー、よかった」
門から十分離れたところで少女が大きく息を吐く。道にはちらほらと人が歩いている。
「こんなボロボロの服装でよく通してもらえたな」
通してもらって言うのもなんだが、こんな身なりの人間を通してもいいのだろうか。
「そうでもないわ。あそこでは服が汚れることはよくあるから。まあ、普通は着替えるからそこまでひどいのは珍しいけど」
確かに、素足で歩く人は今のところ見かけない。道は石で舗装されているため歩くたびに痛みが走る。
「それよりもあなたがあの場所への許可をもらっていないことが問題なのよ。なんとか護衛で通したけど」
「あの場所?」
「あなたが召喚された場所よ」
おそらくはあの建物のことだろうと男は検討をつける。
「ああ、そういえば」
少女は思い出したように男の方に首をむけ尋ねた。
「ねえ、あなた。ロウターンに召喚されたって本当?」
「言ってる意味がわからない」
男は率直に感想を言った。
「そう。なら言い直すわ。あなた知らない場所にいきなり放り出された?」
「そうだ。起きたら知らない奴らに囲まれていた」
「ふーん」
少女はそう答えながら何かを考えるようにうつむいた。
「何か知っているんだろう?」
男は少女に説明を促す。
「まず言っておくわ。ここはあなたの知っている世界じゃない。あなた異世界にきたのよ」
「……」
少女の言葉に男は何も言葉を返さなかった。到底信じることのできない言葉であったが、今まで自分が見てきたものを振り返ると、その言葉を否定することができなかったからだ。
「信じられないでしょうね。まあ、私もあなたのことを疑ってるけど」
「疑わし人間をわざわざ嘘までついて連れ出したのか?」
「ええ、そうよ。さっき言ったでしょう、あなたと同じ世界の人とあわせるって」
「ああ、そうだな」
「今日はキョウカが家に来てるの。キョウカはあなたと同じところ世界からきた人よ」
そう言って少女は前を向く。男もそれ以上何も言わず隣を歩いた。


「ここよ」 もくもくと歩き続け坂を上り、夕日も完全に沈んだころようやく少女の家に着いた。
男の視界には塀に囲まれた大きな屋敷がある。周りに他の家は無く坂の下にいくつかの灯火がみえるだけだ。
門の前に人が二人立ち、こちらを見ている。
「レイ様、そちらの方は?」
「私の客よ。通して」
少女は短く答えて門を通り抜けた。尋ねた方はその答えに困った顔をするが何も言わなかった。男は少女の後に続いて門を抜ける。
「いいのか」
「ええ」
男は少女に確認するが、肯定が返ってきた。
門を越えた敷地の中にはいくつかの建物がある。少女は正面にある大きな屋敷へ向かった。
屋敷の扉の前で少女は止まり、男の方に振りむく。
「入る前に自己紹介ね。私はレイ。レイ=ベルフージュ。あなたは?」
レイは男に尋ねた。
「俺は……」
言葉は続かず一瞬間が空く。
一呼吸はさみ、自分の名を告げようとした。

 これなんて読むかわかるか?

その瞬間、その言葉を思い出した。
「びゅう……」
あのとき知らなかった答えを反射的に口に出していた。
「えっ?なんて?」
少女は聞き返す。男は少女の目を見て今度ははっきりと自分の名を名乗る。
「ビュウ。それが俺の名前だ」
男はその名を自身にしっかりと刻み込んだ。
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